baabaのブログ

68歳ばぁばが車中泊旅に目覚める!

ひとりっこ

今の時代一人っ子って多いんでしょうね~


私には弟がいました。1歳違いの弟です。
でもたぶん弟が3歳くらいの時、母が連れて出て行ってしまったので、私はほぼ一人っ子として育ちました。
後でわかったことですが、父と離婚した生みの母はそのあと2度再婚し私と弟のほかに3人の子供を産んでいました。
弟と妹二人。結局私は5人兄弟の長女なわけですw


父も再婚しましたが、私のためだったのか再婚相手の育ての母には子供が産まれませんでした。
そのころは血のつながらない母親のことを継母(ママ母だと思っていましたが(笑))と言って、ドラマでは意地の悪い人が多かったと思います。
大人になっていろいろな事情があるのだとわかりましたが、私と母の関係も一時は酷いものでした。
今なら児童虐待で逮捕されてますね~まちがいなく。
真冬の寒い中スッポンポンでベランダに出されたり、たんこぶだらけになるほど箒で叩かれたり。大人の顔色を見ながら育った私は父に言ったら父が居ない時更に酷い目に合うってわかっていて、父には何も言いませんでした。
父は何にも知らなかったと思います。
でも母も優しい時があって、一晩でウエストにゴムの入ったかわいいスカートを縫ってくれたり、自分とおそろいの柄のムームーを作ってくれたり。
その時の記憶がこんなに時が経っても鮮明に残っているのは、よほど嬉しかったのだと思います。
早く家を出たくて早く結婚しました。
その育ての母も晩年には認知症でグループホームに入りましたが、面会に行くと子供のように喜んで、「泣くともう来ないよ」と私が言うので「泣いちゃダメなんだよね?」と手を握りなかなか離さなかったものです。
大人になったら仕返ししてやる!って思って高校時代を過ごしましたが、年老いた姿に恨みなんかは消えてしまいました。
親子は血だけじゃないですよ。親として子として過ごした時間が親子にするのかもしれません。
一人っ子なので親の晩年を看るのは大変でした。親の人生の大荷物の片づけ、死んだ後の後始末などなど。
世の一人っ子のみなさ~ん、覚悟しましょうね!いずれ来ます、そんな時。
でも親の愛情を独り占めしてきたのだから、頑張りましょう!
そんな苦労が思い出になる日もまたいずれ必ず来ますから。

子育て真っ最中のころのこと

二人目の子供ができたころ、住んでいたマンションを売って一軒家を買いました。


思えばそのころからず~と仕事をしてきました。
ローンもあったし、子供も増えたし。


ダスキン屋さん、ヤクルト屋さん、下着のセールス、不動産や、介護施設の夜勤、友達が起業したためその経理、情報サイトの営業、などなど。そのほかも空き時間には地域新聞配ったり、内職したり、びっくりドンキーの皿洗いしたり、
同時期にこの中の3つをトリプルワークしていた時期もありました。
子供が4人、持ち家を広い所に買いなおして2軒目に引っ越し、家計も火の車でしたから。
旦那さんがサラリーマンでダブルワークができないから、いくつでも働こうと思っていました。一日の空いてる時間を埋めるように仕事を入れていきました。
眠眠打破中毒のようになりながら夜勤をした日もありました。
外で仕事をする分、家の中は荒れていきました。家族6人分の洗濯物がたたまれないまま山になり、流しにありとあらゆる食器が洗われないで溜まっていきました。
やる時はやるのよ!っとばかりにまとめ家事が日常的でした。
それでも子供は曲がることなくすくすくと育っていったのは奇跡のような気がします、
感謝しかないです。
どうしてそんなに良い子に育ったの?って友達にも言われるけど、「親がだめだと子供はしっかりするのよっ」っていつも言います。
ホントにそう思うんです。
良い子供に恵まれたこと、これが私の人生の宝物。
私の人生を認めているわけじゃないと思うけど、尊重してくれていることは確かです。


母親が幸せで笑っていることが子供にとっては一番の幸せって自分勝手な理屈をぶち上げて宝塚にハマったこともありました。
こうして改めて書いてみるとなんて幸せな時間を過ごしてきたんでしょう。
悔いなしは当たり前ですね!周りの皆さんありがとうございました。
もう少し我がままさせてもらいます。よろしくお願いします。

過去のこと

私のこの先の生き方、今の生活、から少し離れて今日は過去の私の生活をほんの少しだけ書いてみます。
なんでほんの少しかというとあまりに色々ありすぎて、書ききれないから(笑)


自分史
・1955年2月に岡山県で生まれる。
・親が夜逃げ同然に上京したため東京で暮らすことになる。(場所はよくわからない)
・5歳ごろ母が弟を連れて家を出る。その後両親離婚。
・大工だった父に連れられ現場を転々とするが父の両親が岡山に預けるよう言ってくれて
 小学校1年生まで祖父母に育てられる。
・父再婚。東京に呼び戻され新しい母と3人家族で生活が始まる。
・22歳で結婚。同じ職場(銀行)の人と友人の仲立ちで1年半交際後に結婚。
・脳梗塞から認知症になった父と母をひきとり同居。
・子供4人をもうけ、57歳で離婚。現在に至る


離婚して11年も経ってしまった。その間両親の認知症が進んだり、病気になったり、骨折したり、施設に入ったり入院したり亡くなったり。ほぼ親の介護で、きつかったけどあっという間の10年だった。
元旦那とはその間全く交流はなく、近所に住んでいたのに会うことも殆どなかった。
今年三女の婚約を機に話したいこともあり、勇気を出して連絡をしてみました。
歳をとると鈍くなるのか若い時みたいにドキドキすることは日常にはないけど、この時ばかりはかなりドキドキしたのを覚えています。トキめきではないですよ(笑)
緊張のドキドキです。
でも会ってみるとあまり違和感なく話ができて自分に驚きました。
時が解決するとよく言うけど、確かに時間と距離が必要な人間関係もありますよね。
35年も家族だった人だから憎いとか嫌いだとかそんな感情は全くないです。(私にはね)
どちらかといえば私が奔放すぎたのが原因かもしれない離婚だから、元旦那の感情のほうが複雑だったかもしれません。
あ~やっぱり書ききれないですね。また機会があるたびにお話ししますね。
来月離婚後初めて子供たち家族と元旦那も私も一緒にBBQを予定してます。
楽しみ^^